© 2023 JUNKO OKI
たいせつな風景
第二十九号
特集:庭
2020年2月29日
神奈川県立近代美術館・刊行
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窓と地図 沖 潤子
私は刺繍をしている。下絵を書かずに縫い目がつれたり布がよれたりを針に任せ、もつれた糸をそのまま縫いつけすすめてゆき、曼荼羅の如く針目を重ねた形が作品となる。母が亡くなった後にのこされた大量の糸がきっかけではじめた作業だが、これを刺繍といって良いのかじつは未だにわからない。
作業はほぼ一日じゅう家の中で行われている。四十半ばから制作をはじめたので、時間が足りないと云う衝迫のようなものがあり、とにかくできるだけ起きている。生命線が手首まであるしきっと時間はあると思うけれど、手を動かせる時間がどれくらい残されているだろうと思うと今集中しておかなくてはと思ってしまう。
手を止めた時にしばし見やるのは窓辺である。住みはじめて十年になる谷戸の古い家には、観音開きの木枠の窓がついている。家を探している時、不動産屋のチラシに「冬に陽があたりません。」の但し書きがあって怯んだが、窓の佇まいに魅了されて住むことを決めた。家に籠る私には結界のようでもある、窓の周辺から捉えた夏の風景について少し書いてみたいと思う。
春先のウグイスが成長し、誇らしげなその声が谷戸に響きわたるようになると、そろそろ夏がくるとわかる。
日没から庭の隅でジーッとと啼くクビキリギリス(最近までミミズの声だと思っていた)、真夜中のホトトギスの孤高の叫び、そして辺りが青くなる早朝のわずかな時間に一斉に啼きだす蜩。耳の奥にしみこむような蜩の声は、なつかしい記憶の沼の底に導かれるようで、一年に一度あの合唱を浴びなければ生きていけないと思うほどだ。
以前ニューヨークで作品を紹介する機会があり、制作背景として蜩の話をしたところ、アメリカでは虫の声は耳障りな音という印象なので理解されにくいだろう、と言われ話がそこで終わってしまった。
音を「声」として認識する言語脳と母国語の関係など諸説あるらしいことをあとで知ったが、日本人でも虫の声に特に何も感じないと言う人もいるかもしれない。虫の声だけでなく例えば日々の中に感じる八百万の神の気配について、文化によってどんなちがいがあるものなのだろうか。そのあたりのことを今ならもう少し話をしてみたいと思う。
ある日の深夜、窓から裏山を見あげると黒い木々から煙が出ているように見えた。火事、と思って思わず外へ出てみると、煙ではなく濃厚に立ちのぼる蒸気だった。みたことのない景色で、山ごと発熱してうごめいているように感じた。いつも縁側や庇に長々と寝ている猫たちが一匹も見あたらず、今夜はなにか特別な晩で、山頂の広場で異形のものたちによる重要な行事がおこなわれているのでは、と想像して胸がおどり、でも足がそこから動かなかった。台風前の異常な湿度によるものかもしれなかったが、勇気をだして確かめに行けばよかった。
ここまで書いてふと、小さな家でひとり暮らしていた祖母のことを思う。祖父が亡くなったあと、手習で身につけた紙絵を描きながらひとり暮らしていたその家は、今思いかえすと祖母がつくった聖域だった。小学校の帰りに私が訪ねると手を止めて迎えてくれ、何を話すでもなく二人で窓辺に座り、玄米茶をすすりながら庭をながめた。少しすると「もうおかえり」とお菓子を持たせてくれた祖母の目はきっぱりとして、普段家族と一緒に会う時と少し違っていて、粛々とした気持ちになりながら帰宅したのをおぼえている。
木戸を開けたところにあった茱萸の赤くすきとおった実や、土管を埋めただけの深い池、そのまわりに桜草や鷺草、福寿草などが自生していた祖母のあまりかまわない庭が、季節ごとに豊かな景色として思いだされる。いま、あの窓辺に祖母と座ったら何を話そうか。
いろいろなことの答えがわかるには人生はみじかいのだろうけれど、先に生きていた人の風景を思いだせることは幸いだと思う。さがしつづけていると、しずかに何かをつたえてくれる。オーストラリア先住民の人たちが「道」「水場」「足跡」を描いた体感的な絵画のように、内在する風景をさがしながら私は地図を作っているのかもしれない。そして地図に記された路をたどった先に何があるか、それを見とどけないわけにはいかないのだ。
Anthology 沖 潤子
茶室ひと間を作品とするというお話をいただいた時、茶道の心得がない私はどう捉えたら良いかとまどいながら、新しい挑みに胸が高なった。
夏の終わりにはじめて萩を訪れ、美術館の一番奥にある茶室の畳を長い時間じっと見つめた。寡黙の吐息のにおいがし、積もった時間のちりが見える。この場所と私の針目をつなげる何かが必要だ。
糸巻を募り、根室から那覇まで国内の各所から七千個あまりを提供していただいた。さまざまな方の「母の、祖母の、義母の、友人の」糸。ラベルが変わったため在庫になっていた古い糸。一個の糸巻にそれぞれの道程があった。
目に見えないものに鼓舞され、煮つめられた私の針目はいま畳の上で触手を伸ばす。その先端を一個一個の糸巻に絡め、一堂に会したよろこびの中ここに至る風景を互いに告白し、くりかえされる歴史を凝視しているのではなかろうか。
アンソロジーとは詩撰、歌集などの意味だが、言語を調べてゆくと古代ギリシア語で「花摘み」の意味があると知った。
一年の展示期間である。
どんな日々だったかを報告しつつ、来たる春の桜を手向けて最終日を迎えたい。互いの時間を持ちより、ようやくこのたびの茶室での「アンソロジー」が編みあがるだろう。
Anthology Junko Oki
When I was presented with the idea of transforming an entire traditional Japanese tea-ceremony room into an art installation of my own, I was thrilled with the new challenge even though my lack of profound insight pertaining to tea culture slightly weighed on my mind.
I visited Hagi for the first time towards the end of last summer, and went inside the tea-ceremony room which was situated in the innermost area of the museum. I gazed at the tatami-mat and contemplated for a while. In the room, I sensed the presence of silent sighs and accumulated particles of time. I needed “something” to connect this place to my needlework.
I sought the thread spools publicly, and received more than seven thousand of them from various prefectures of Japan such as Nemuro in Hokkaido and Naha in Okinawa. Threads once used by
the senders’ mothers, grandmothers, mothers-in-law and friends. Some threads had been deserted
in the corner of a warehouse as the brand name on the label was no longer in use.
Each thread spool had its own distinctive history, using different paths to eventually reach me.
Inspired by the concentration of all of their unknown histories, my needlework and my stitches lie on the tatami-mat, stretching their feelers as each one of them feeds into a spool.
They must be delighted to find each other, to be able to introduce the journey they had gone through, and to marvel at their histories that have unfolded.
“Anthology” can be defined as a collection of songs, poems, and other forms of written text. However, I also learned that it can mean “flower-gathering” in ancient Greek.
This exhibition is for a whole year.
In the next spring, on the final day, with cherry blossoms as an offering I would come here. I hope to share all that had gone through during the year. Our time would be gathered then, and the “anthology” of the tea-room would finally be concluded.
translator :Toshiaki Komuro